2009年6月13日土曜日

ベラルーシに3年のつもりが・・

ベラルーシ、この国の名前を知っている日本人はほとんどいない。日本で「ベラルーシ」と言っても「どこですかそれは?」などと言われてしまうのがおちである。

ベラルーシという国名を知っている日本人は10人に1人くらいではなかろうか。とにかく、このベラルーシというのは、ほとんどの日本人には知られていない国なのだ。旧ソ連とはいってもヨーロッパなのだが・・

「チェルノブイリ」という名前は知っている方も多いだろう。ベラルーシは1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原子力発電所の事故のために国土が広範囲に渡り汚染されてしまった。これは事故の発端であるウクライナ国より大きな被害となった。

チェルノブイリはウクライナに位置するのだが、ベラルーシの方が被害が大きくなってしまった理由は事故直後の天候にある。当時ウクライナからベラルーシに向かって強風が吹いていたのだが、この風にのって運ばれた放射能汚染物質がベラルーシに雨となって降り注ぎ、それによりベラルーシは国土の3分の1を汚染されてしまったのだ。

ベラルーシ南西部にあるモンゴメリという町やその他60以上の村々が汚染され、人の住めない危険地帯となってしまった。だが、今なおそこには多くの人々が住んでいる。そして、ほとんどは老人である。

ベラルーシの地図を広げて見ると、そこには危険区域が印されている。国土の約3分の1が赤枠でくくられて、危険地帯ですよと警告している。それを見ていて、だが待てよと思ってしまう。この赤枠から1メートル外に出れば・・、いや10メートル離れたら危険ではないというのか? そんなはずはない、やはり危険であることにはかわりない。危険地帯ではない所は危険地帯よりは少しはましだろうが・・ それくらいにしか私には思えない。

つまり、ベラルーシに行って住むということは危険をともなうということだ。少なからず体外・体内被爆する危険と隣り合わせる覚悟がいるということだ。それを言ってしまえば、他の近隣するヨーロッパの国も必ずしも安全とは言えないだろうが・・

最初に書いたとおり、この国を知る日本人はほとんどいない。その為この国は日本とは縁遠い存在である。観光で行く日本人などまずいないだろう。それ以前にまともな観光地がないのだから観光のしようがない。戦後につくられた教会などはあるにはあるが・・

私がベラルーシにいた当時、日本企業は1社も進出していなかった。私が初めてベラルーシに行ったのは2000年1月であるが、当時ベラルーシにいた日本人は、大使館員を含めても、たった18人しかいなかった。そして、2度目に訪れた2002年9月は22人であった。ヨーロッパでこれだけ日本人が少ない国も珍しい。

数年前まで、私がこの国に行ったり住んだりすることなど考えも及ばぬことであったのだが、その後、私はこの国を2度訪問することになる。1度目は観光を兼ねて、14歳年下の恋人ソフィアやその家族に会うための訪問であった。そして、2度目の訪問は3年間の留学のつもりであったのだが・・・







Zena The Psychic



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